クレッツァー来日
 さる3月28日、渋谷の東京ウィメンズプラザにて、RightsとNPO法人子ども劇場全国センターの主催により「ここがおかしい選挙権年齢!!」が開かれた。これは、ドイツの若者による団体、クレッツァーの16歳女性ふたり――メタ・ステファン、ポーラ・セルの来日を記念した、若者の政治参加のあり方を考えようというイベントだ。
 92年、子どもはどのような差別を受けているのか、それを考えようとした数人が動き始めた。クレッツァーの誕生である。ドイツ内外の様々なイベントに顔を出し、彼らのテーマ「子どもの権利を勝ち取ろう」を広めようと訴えている。
 肌の色などによる差別は改善されてきても、子ども、人口の2割を占める子どもの権利は依然として少ないままだ。子どもは教育などの「対象」としてしか見られていない。ポーラは憤る。「みんな、かつては子どもでした。自由やデモクラシーを子ども時代に味わえなければ大人になっても子どもに与えられないでしょう」。
 子どもにも、大人と対等の権利を――それが、クレッツァーの主張である。
クレッツァーと選挙権年齢
 「選挙権は基本的人権のひとつ。基本的人権はすべての人に保障されなければなりません。選挙をしたければ子どもも大人も参加できなければいけないでしょう」、ポーラは言う。
 民主主義はすべての人の権利を保障する。子どもも民主主義の対象である。それなのに、なぜ、子どもには基本的人権なる選挙権が与えられないのか?ドイツでは子どもに関心がもたれないという。子どももまた、選挙権のないがゆえに政治家に対して意見を言えない。
 改善されぬ現実に対し、クレッツァーは95年、行動を起こした。選挙権の保有に年齢制限があるのは違憲であると、裁判所に訴えたのである。この裁判を通じてクレッツァーが訴えたかったのは何か。「子どもが選挙に行きたいのだと訴えている、それが明らかになるというのも目的のひとつではありました。しかしやはり、本当にしたいことは、“生まれたときから権利を保有している”という状態なんです」。
 だが結局、決定は芳しくなかった。「訴えは発布後1年間のみ認められる」――ドイツの憲法は、1950年に発布されていた。
 ドイツの中には選挙権の年齢制限を16歳に引き下げる動きもある。実際、いくつかの州ではすでに選挙権年齢は16歳である。
 しかし、これはまったく根本的解決ではあり得ない。「制限を下げたって、“投票可能な人”のみ選挙を認められるということに変わりはなく、結局青少年は疎外されています」、メタの発言だ。ポーラはさらに、「私たちはあくまでも、制限をなくすことを訴えたい。“投票可能な人”と言うけれど、大人だってテストされているわけじゃないでしょう。16歳から選挙できます、なんて引き下げられたって、ナンセンスよ」と、実に堂々と宣言した。
 選挙権年齢を引き下げることに留まらず、制限そのものに疑問を抱き、クレッツァーは選挙権の年齢制限撤廃を訴え続けているのだ。
政治に無関心な若者
 政治には関心がもたれないと言われる。20代の投票率は20%台を低迷したままだ。
 ドイツにも、政治に無関心な若者は多くいる。しかし、日本との違いは、学校の授業などで政治が語られ、また授業外においても社会の動きがよく話されるというところだ。
 「ただひとつ、言えることがあります。子どもが社会についてあまり関心をもつことができないのは、選挙権をもっていないためであり、そのために、自分自身は政治に、社会にあまり関わることができないのだろうと考えてしまうということです」。メタは断言する。
 ともにパネリストを務めるRights幹事林孝一はこう言う。「まず日本の若い人たちはあまり政治一般に対する関心がない。政治は生活と密着しているものなのに」。「関心をもたないことのひとつの理由は、自分が参加できないから、ということ。政治に無関心―年齢制限がある、政治参加できない―より無関心となる―こうした悪循環があるのではないでしょうか」、これはメタの発言だ。
 また、政治教育についてのディスカッションでは、日独の違いが明らかに示された。
 コーディネーターを務めるRights幹事小林庸平の発言はこうだ。「日本では政治システムは教えるが、現実政治は教えません。何も触れないことが“政治的中立だ”とされています。ドイツではどうか。現実政治を語ることに悪影響は果たしてあるんでしょうか」。これに答えてメタは言う。「きちんと話し合われることが必要ですよね。ドイツでは、先生が考える素材として最低限の事実を教え、生徒は自由に意見交換を行います」。
 しかしもちろん、ドイツにおいても、政治について話すこと自体に違和感をもつ者は多い。これまで選挙権年齢の制限撤廃など考えたこともなかったという者、クレッツァーの主張を聞いて驚く者も多い。少しでも共感を得たい、少しでも政治参加に興味をもってもらいたい、そうした気持ちでクレッツァーは様々な場で訴えることを続けている。
「権利とは弱者を守るためにあるものである」
 クレッツァーは、被選挙権年齢についても制限を撤廃すべきだと主張している。これは過激な主張のようにも思えるが、少し考えてみればそれが妥当であることがわかるだろう。たとえば、弱冠5歳の少年が選挙に立候補したとしよう。彼は他の候補者と同様、有権者による投票によって厳密に審査される。民主主義において、多数の有権者が認めたことは正当なことである。したがって、彼が当選したとするならば、彼は正当に有権者に認められた――議員としての能力、また資格のある者であるということになる。たとえ彼の雇う年長者が彼に指示されることに不満を抱いたとしても、責務は全うしなければならない。
 何歳であっても正当に選ばれることがなければ、立候補しただけで議員になることはできない。そうであってみれば、被選挙権の年齢制限を撤廃することに何の問題もない。
 これに対し小林は率直な疑問を述べた。すなわち、「クレッツァーというのはすべての面において差をなくそうと考えているのか」。ポーラは言う。「大人と子どもがまったく同じというわけではない。けれど、権利は同等に与えられるべきです。権利というものは、強者から身を守るために使うことができます。子どもは大人よりも弱い立場にあり、子どもは大人と同等に、もしくはそれ以上に権利をもつべきなんです」。
 Rightsは被選挙権年齢について、難しい問題ではあるがせめて成人年齢までは引き下げよう、という意見が大勢を占めている。
 「いきなりゼロにするのは難しい。小さいところから始めるのが賢明でしょう。小さな一歩も改善ではあるのだから」、ポーラの力強い発言に一同は力づけられたのではなかろうか。
質疑応答
 会場からの発言も盛んであった。
 「今はNPO・NGOの活動も盛ん。政治は何も“永田町”に任せる必要はないはず。“年齢制限撤廃”よりも、若い者がいかに社会に働きかけ、異議申し立てしていけるか、を考えることが大切では?」という発言に対しては、「権利はあくまでも可能性としてあることが大切。子どもが意見を言えることが保障されることが必要なんです。生じ得る様々なデメリットとメリット、どちらが重いか考えてみてください」とポーラが必死に訴えた。
 参加者のひとりは、権利と義務について疑義を表した。権利を与えるならば義務をも同等に与えるのか?と。それに対しては、「権利は“ある”ものであって、行動するものではない。しかし義務は遂行されるものであり、それなりの能力を必要とされるはずです。子どもは大人と比べて弱い。経験も少ない。子どもに大人と同等の義務を遂行されることは不可能でしょう」と答え、権利と義務との違いを明らかにした。
日独交流を通して
 クレッツァーの主張は一見過激なようにもとれるが、しかし来日したメタとポーラの整然とした理論的な説明を聞けばその妥当性を納得させられてしまう。
 「許可された者のみ投票する」現状から「したい者が投票できる」制度へ。クレッツァーの主張はこの一点に終始するといってもよいだろう。
 風土の違いを超えここに一つの交流が生まれたことを、決して単なる「イベント」に留まらせてはならない。

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NPO法人Rightsは、「未来を長く生きる若者は未来の決定により大きな責任を」との思いから、選挙権・被選挙権年齢の引き下げと政治教育の充実を2つの柱に、2000年から若者の政治参加をめざし活動してきました。

現在は、政治教育や若者政策の提言、政治家への働きかけに加え、自治体における若者参画プログラムの拡充、学生・若者団体への支援・助言などの活動を行っています。